野菜を作るスキルを身につける

世の中が安定しているときは全く必要性を感じないが、東日本大震災、そして2020年のコロナショック、そういった外的な要因で情勢が不安定になるたびにSNSで時の政権に対する不満が舞い上がり、やはり改めて思う。

与党だろうが野党だろうがどっちが政権を取ろうがどちらも平和を求めていることには変わりなく、ただ自分の考え以外に理解ができない多様性のないマインドだから争っているだけで、その争いの先に戦争があることを平和を求めるなら推して知る必要があり、与党打倒とか、国家をひっくり返すとか、そんなことは今はあまり意味がないと気付く必要がある。モグラが右の穴から出てるか左の穴からでてるかぐらいの違いしかないのだ。肝要なのは、一人一人にできるサイズを見極めること。今何ができているのか自分自身を振り返ること。

政治に振り回されず、志を持って内政をおこなう知事だったり、地元の町長だったり、町の学校の先生だったり、国の片隅で木を一人植え続けるじいちゃんだったり。死ぬまでに何か大きいことをなしてやろうとか野心を燃やすタイプではなく、見返りを求めずもっとコンパクトな活動をしている人こそ今最も素晴らしいことをしている人だ。相互補助である年金も税金も対して払わず、国に文句ばかりいうような義務も通さず、権利だけ主張してパソコンの前に座ってるだけでは生きていられない。個人主義的無政府主義、社会的無政府主義を超えた、「次世代のアナキズム」を個々が持ち、より自立したコミュニティを確立する時がやってきている。

ある程度自立した生活を営むには、何があっても最低限何かを口に入れられるように、野菜を作るスキル、小さな畑を作るスキル、もっと言うと個人とか町内とか、そういう小さいサイズで土を作るスキルを身につけておく必要がある。農家に全て頼りっぱなし、JAに頼りっぱなし、如いては国に頼りっぱなしで生きる、そんな個々が自立していない、国家制度にに頼り切ったライフスタイルは永続しないとそろそろ理解する必要がある。

14世紀にペストが流行し多数の人が犠牲になり、結果ヨーロッパに何が起きたか。教会という絶対的な権威の崩壊と国民主義という近代国家の始まりである。流行を抑えることは教会に何もできず(というか何もしなかったような気もする)民は自分たちで営みを作る必要があると気がついた瞬間である。

一方17世紀江戸時代、自給率がほぼ100%だった度々飢饉が起こるたびにどうやって乗り切ったか、時の将軍は個々の家の庭にキンカンなどの柑橘類を植えることを推奨し、皆が栄養不足にならないようにしたという記録がある。

自分が歴史の勉強をした限りでは、人類が稲作や畑を営むようになってから永遠のテーマになっているのは「天敵の大発生」だと推測できる。均一化した食物を育てると、どうしても同じ種類の天敵が大発生し、度々人々を飢饉に陥れる。中国史『十八史略』の中で曹操と呂布の戦いが何で止めることになったか。
イナゴの大発生だ。イナゴは作物の天敵だが、一番厄介なのは天候不順になると、イナゴは定住型から移住型へと変化し、田畑を荒らすようになる。鳥もまた田畑を荒らすが、稲を食べるからと鳥を追い払えば虫が増え作物をより荒らす。世の中の事象全てにこのループがかかっていることに人類は気づき、地球とどうやったら持続的な「全てとの共存共生」が続けられるのか今考える必要がある。少なくても目先の欲しいものを手に入れるために、木を切り燃やし、二酸化炭素を出していれば近い未来に地球は食物が足りなくなるのは疑いのない事実だ。

ということで、まずは自分から。

畑を借りてみた。マメ科のクローバが群生してるエリア。

半分は耕起バージョンということで早速鍬入れ

見かねた隣の畑のじいちゃんがこうやるんだとがっつり掘り返し始める。
自分はコロナに感染してる前提で動いてるので、クワもスコップも別々。どうもこのあたりの年配の方は意識が相対的に薄いので2m以上は近づかないように気をつける。優しさを変な形で返すわけにはいかない。

良い作物は良い土から。毎年肥料をいれなくても、生物と自然の力で良い土をどうやれば作れるか。
身を以て勉強体験していきたいと思う。正直一年目はいろんな人から教授をいただきながら営むことになりそうだ。