ここにいるだけで手に入る情報をすべて信じる前に、情報を手に入れるために動き、自分なりに判断するというアクティブなスタイル。

チベットに住んでいる訳じゃないから手にはいる情報からしかアウトプットできないが、、、。
チベットの僧侶を弾圧するのは明らかに世論的な正義ではないだろう。
僧侶を殺害するのはもちろん正義ではないだろう。
他社に対してそこまでする権利は正直だれにも与えられていない。
俺だって家族や友人に矛先が向いたら何かを叫ぶだろう。

ただチベットにいったことも中国に行ったこともないだろう大衆までが
たいした情報集やインプットをおこなわず、
盲目的に中国に対してフリーチベットを叫んでいる風景を見ると
別の恐怖を覚える。フリーチベットを叫びながら長野で暴れる
暴徒は中国警察の高圧的暴力と紙一重だ。

どこかで読んだ教授(坂本氏)のテキストにも書いてあった気がするが、
リベラル&フリーの先端的国家でもあったアメリカ。
飛行機がビルに突入した途端、リベラルなシーンは脆くも崩れ、
ある国への敵対心でまとまる恐怖。
ブッシュはくそだ。自分もそう思う。
ただ、ブッシュイコールアメリカイコールニューヨークなんて
小文字(個人)から大文字(個人の所属するすべて)に
無理矢理つなげる図式を正当化する突入した彼らは浅はかだとおもう。

エコが叫ばれ始めた途端、割り箸を使う人間に対して偉そうに
マイ箸を説く無知な教師。
割り出しのすべてが環境破壊の根源ではない。
割り箸が避けられ始めたせいで、間伐で生まれた不要な材木を
利用して作る、元々エコロジーなはずの事業で細々と生活を立てていた
国産の林業に携わる家族の生活は破滅に近い。

それぞれの事柄には一本化できない様々事柄が埋まっている。

必要なのは様々な人々とのコミュニケーションと、
そこから得られるパラレルかつカオスな情報。
それと、利害関係が複雑に渦巻いた政治ムーブメントとは、
まったく別の次元でおこるアートや音楽によるイノベーションだと考える。

俺も含めた多数の人間は、
体の内にぼこぼことわき上がるエネルギーを使いたいだけなんだ。
エネルギーの矛先がほしいだけなんだ。